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カテゴリー  [バンダジェフスキー博士 ]

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バンダジェフスキー博士って誰? 

バンダジェフスキー博士は、ベラルーシ出身の医師であり、病理解剖学者、ゴメリ医科大学初代学長でもあります。

チェルノブイリ原発事故の影響を調べるために、被曝した人体や動物の病理解剖を行い、体内臓器のセシウム137などの放射性同位元素を測定する研究を行う。

また、日本語訳されたバンダジェフスキー博士の本が最近出版もされています。

放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響:
チェルノブイリ・原発事故被曝の病理データ


以下はウィキペディアより部分引用。

1957年1月9日にベラルーシ(Belarus)フロドナ州(Grodno)で生まれた。

1978年、小児科医ガリーナ・バンダジェフスキーと結婚。

1980年、国立フロドナ医科大学卒業、臨床研修を終え病理解剖学専門家となる。

1989年、ベラルーシの中央科学研究所所長に就任。ベラルーシコムソモール賞、アルバート・シュバイツァーのゴールドメダル、ポーランド医学アカデミーのゴールドスターを授与される。

1990年、ゴメリ医科大学を創設、初代学長・病理学部長を務める 。

ゴメリ医科大学では1986年のチェルノブイリ原発事故以来、セシウム137の人体への影響を明らかにするために、被曝して死亡した患者の病理解剖と臓器別の放射線測定や、放射能汚染地域住民の大規模な健康調査、汚染食料を用いた動物飼育実験、などの研究に取り組む。

この研究は、セシウムなどの放射性同位元素が体内に取り込まれたときの現象と病理学的プロセスを解明するとともに、旧ソ連時代からの放射線防護基準を改訂することに寄与した。

ゴメリ医科大学ではバンダジェフスキーの指導のもと、30の博士論文が作成され、200篇の文献が作成された。研究成果は、定期的にベラルーシ国内の新聞、ラジオ、テレビ、および国会で報告されていた。


ところが、バンダジェフスキー博士は1999年、ベラルーシ政府当局により、ゴメリ医科大学の受験者の家族から賄賂を受け取った容疑で逮捕・拘留されてしまいました。何ら証拠もない、冤罪による逮捕です。

ベラルーシの独裁体制は非常に厳しいもので、「欧州最後の独裁国」などとも言われています。バンダジェフスキー博士の研究が邪魔になるから投獄したのでしょう。

以下再び引用。

バンダジェフスキーの弁護士は、警察によって強要された2人の証言以外に何ら証拠がないと無罪を主張したが、2001年6月18日、裁判で求刑9年・懲役8年の実刑判決を受けた。

大学副学長のウラジミール・ラブコフ(Vladimir Ravkov)も8年の実刑を受けている。この裁判は政治的意図による冤罪だとして、海外の多くの人権保護団体がベラルーシ政府に抗議した。

国際的な人権保護団体であるアムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)は、「バンダジェフスキー博士の有罪判決は、博士のチェルノブイリ原発事故における医学研究と、被曝したゴメリ住民への対応に対するベラルーシ政府への批判に関連していると広く信じられている。」と発表。

実際にバンダジェフスキーの逮捕は彼がセシウムの医学的影響に関する研究論文を発表した直後に行われ、WHOが2001年6月4日にキエフで開催したチェルノブイリ原発事故による人体への影響に関する国際シンポジウムへの出席も不可能となった。この経緯はスイスTVの特集番組「Nuclear Controvesy(核論争)」で取り上げられた。

ベラルーシ政府は『(チェルノブイリ原発事故による)放射線は人体の健康にほとんど影響しない』という見解を現在でも堅持しており、アレクサンドル・ルカシェンコ大統領(1994年より独裁体制)は「ベラルーシ国内農地の4分の1が放射能汚染を理由に放置されていることは認めがたいとして、バンダジェフスキーが逮捕された1999年に原発事故以来人々が避難していた汚染地への再入植を施政方針とした。

2001年1月13日、獄中からワシリー・ネステレンコ博士を通じてベラルーシ市民にあてた手紙[12]  を発表し、自らの無実と共に、過去10年間ゴメリ医大で国からの援助や資金を受けずにセシウムの健康への影響を解明する研究に取り組んできたこと、自分の逮捕と収監によって結果的にゴメリ医科大学の研究活動が停止されたことへの遺憾を表明した。当時のゴメリ州の1999年の死亡率は出生率の1.6倍であり、国家存亡の危機にあると訴え、チェルノブイリ原発事故によって汚染された地域に、病理学と放射線防護の研究に関する国際独立科学センターを設立することを呼びかけた[13]。

バンダジェフスキーの投獄に対する国際世論の高まりに押される形で、刑期途中の2005年8月5日に釈放されたが、5か月間はベラルーシから退去することを禁じられた。

その後、フランスの クレルモンフェラン(Clermont-Ferrand)市長から招聘され、現地の大学や病院で研究や治療に携わった。クレルモンフェラン市は1977年からゴメリ市と姉妹都市の関係にある。

フランスでは、環境保護NGOであるクリラッド(放射能調査および情報提供の独立委員会 CRIIRAD:Commission de recherche et d'information indépendantes sur la radioactivité)の学術指導を行い、また自身の研究をサポートされている。

現在、ベラルーシを国外追放となり、ウクライナ・キエフ州のイヴァンキブ(Ivankiv)中央病院に勤務している。




日本同様の厳しい情報統制が敷かれていることがうかがわれます。
また別記事で、バンダジェフスキー博士の業績や見解などを記していきます。

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